2024年1月25日木曜日

右手の先が無い人

  知らない街を歩き回るのが好きな私は、ホーチミンの街を歩いていた。

 昨日も目にしたその人は、今日も、3月に開通する地下鉄の地下通路入口の脇に、座って、帽子を目の前に置いていた。何かこちらに声を掛けて来るが、現地の言葉なのでしょう、内容が分からない。でも、凄く陽気に。毎回陽気なのである。お金を恵んでくれということだと、状況から察せられます。

 何度も逢う右手の先が無いその人の帽子には、お金が入っている時も有れば無い時も有る。無いときの方がむしろ多い。ポケットに確保していたのかもしれないが、儲かっていそうにはない。

 チップの渡し方も分からない私は、ただスルーするだけでしたが、その日は、戦争博物館へ行って枯葉剤の被害の惨状を目の当たりにした帰りだったので、何かしてあげたくなって、帽子に、チップ程度のお金を入れた。枯葉剤の影響でそうなってしまったかもしれない、と思ったからである。

 有難うと思われる言葉を言われた気もした。


 毎日同じ場所で、物乞いをする人が何人も居る。歩道で、何かを枕にして寝ている人も居る。混沌としたホーチミンの街だ。

 

援助はその人のために成らないとも脳裏に浮かべましたが、思い直しました。

 最近「親ガチャ」という言葉を聞きます。裕福な家庭に生まれたら裕福な生活が出来るけど、そうでなければ、そうでない。と。

 日本人に生まれたらは間違いなく「国ガチャ」には、成功している。ベトナムに生まれ先天的な障害も持った人が、私のように自由に海外旅行を楽しめるか?と考えた場合、いくつもの壁を乗り越えないと、出来ない。 

 日本人として生まれた「ラッキー」チャンスを自分が生かしているか?まだまだ、出来ることがありそうだ。


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